西洋料理から洋食へ

関東大震災の被害

日本における西洋料理の歴史は、このように順調に推移しており、発展を続けてきました。しかし、大正12年には思わぬ打撃を受けます。それが、関東大震災です。この地震によって、関東はかなり大きな打撃をこうむってしまいました。

 

例えば、10店舗以上を構えていた中央亭は、三田にある本店以外すべて倒壊してしまいました。また、日本西洋料理史の中心を担っていた築地精養軒も、関東大震災で壊滅してしまいました。そして、その後再建されることはなかったのです。本店は、現在も営業している上野精養軒へと移されたのです。また、東洋軒も経営にダメージを受け、支店はすべて閉店したのです。

 

関東大震災において、東京よりも横浜のほうが被害は甚大でした。外国人向けのホテルはすべて倒壊もしくは消失してしまったのです。震災の後、横浜にいた外国人は次々と横浜を離れ、そのことで閉店を余儀なくされた西洋料理店も多かったのです。

 

西洋料理のメッカ、と言われた横浜に、昔から続く老舗が少ないのは、この震災のせいだったのです。

 

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震災からの復興と洋食店

人間の歴史を見ると、大きな災害の後にはそれの反動としての人間の力をまざまざと見せつけられることがあります。関東大震災のあとの日本もまさにそのような形で、震災の後に数多くの大衆向け洋食店が生まれました。

 

東京においては、1924年(大正13年)に、加藤清二郎が須田町食堂をオープンします。これは、現在では聚楽となっています。須田町食堂には、「簡易洋食」というのれんがかけられていたことが知られています。同点は特に震災から復興しようとする人々にエネルギーを与え、高い人気を得ました。どんどんと支店を増やしていき、昭和のはじめには東京都内に90店舗あったと言われています。

 

被害が甚大であった横浜にも復活の火がともります。1923年(大正12年)には、ハヤシライスで有名な梅香亭が開業します(2012年現在、残念ながら閉店してしまいました…)。また、1925年には勝烈庵がオープンします。従来のカツレツを「勝烈」と漢字表記にして、和風の定食として供されたのですが、これも高い人気を集めました。

 

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